会社の種類として株式会社、合名会社、合資会社、合同会社の4つが認められています。場合によっては外国会社を含むことがあります。
自宅で毎日飲むコーヒーはコスタリカ塵の豆と決める。
そうすれば、コーヒー飲むたびに、「旨い、平和憲法は旨い」と自己確認できるよ。
コスタリカ産コーヒー豆は期待していたほどには売れなかった。
だからと言って、「ほら、小売の自己主張なんて利益につながらないだろ。
やっぱり小売の本道じゃないんだ」なんて短絡しないでほしい。
前述したように、小売の自己主張は企業の差異や信用をつくってくれるからだ。
つまり、企業の広告になるからだ。
ソンしてトクする。
だから、つづけられる。
企業の広告はなにもテレビCMや新聞広告だけとはかぎらない。
ベネトンの広告ばかりが自己主張型の広告ではないのだ。
さらに言うと、商品とは日々の生活を営むための道具であるから、小売が商品を通して「公共事業を拒否したあとの現実」「沖縄の失業率」「日常の中の憲法第9条」を考えていく姿勢は、次のような考え方に関係してくる。
わが国のかつての指導者といわれる人びとの思想と、自身の生活のあり方と態度とは、はたしてどうであったか、それをきびしく吟味してみたくなるのである。
おそらくそれは例外もあろうけれど、多くは半野蛮的なもの、いわゆる封建的なものだったと反省できるのではないのか。
日常生活というものをぞんざいにし、あえて顧みないということは、封建時代の1つの欠陥だと指摘できる、それだったのではなかったか。
生活はなくても思想があり、精神があるといっていたのが、日本のこれまでの指導者といわれる人びとの、いわゆる信念ではなかったのか。
そしてそれは封建時代を通じて、衣食のことといえば婦人だけが考えること、そのまた婦人というものは軽視さるべきもの、との封建的な思想と論理とがその根本をなしていると思えてくるのである。
風俗といえば、それは外形かぎりのもの、そして生活といえば、それは思想日々の生活を素材として時代や社会について発言していった思想家と言えば、すぐ思い浮かぶのは花森安治さんだが、小売者にとってもう1人忘れてはいけない人が花森さんより23歳年考えていった、わが国には稀少な生活学者だった。
「生活といえば、それは思想内容まで交渉あるもの」という文章に私ははげまされる。
今さんが自分を置いた立場は、いわゆる公に対する私の立場ではなかった。
知識人に対する大衆の立場というのでもなかった。
今日着ている外出着と家庭着との落差、今日摂る食事の献立て、今日眠る寝室のスペースといった衣食住の細部を観察するところから、社会を変えていこうとする日常生活の立場だった。
「われわれはだれでも皆、敗戦国民として戦争の責任を負わされている」ので、「被侵略国民の生活よりも向上してはいけない、という枠づけ、きわめて至当」だと今さんは考える。
しかし「住の貧困からは、精神的なものへの欠陥が」生まれてくるから、早急に「小住宅スタイルブックが必要とされてくる」
こんなふうに、被害者でありながら加害者であった戦後日本人の二重性を住宅問題という生活の中から考えていった思想家、戦後の復興を小住宅のスタイルブックの効用から説いていった活動家が今さんだった(今さんは1貫して日本社会党のヒラ党員でもあった)。
話がずれてしまうが、「戦後思想とは何だったのか」を主題とした小熊英二さんの『(民主)と(愛国)』では300人以上の戦後知識人の思想が検証、紹介されているにもかかわらず、その中に今さん、花森さんはふくまれていない。
書斎からではなく日常生活から思想をつくっていくタイプの知識人ほいまもなお、わが国では軽視されたままのようだ。
戦後の消費者運動はこの今さんや花森さんの開拓した道を引き継いできたと言えるのかもしれないが、小売者もまた、あるべき小売のイメージをかたちにしていくことで、今さん、花森さんと同じ道を歩めるのではなかろうか。
すなわち、生活ジャーナリズムの可能性、私の場合で言えば、小売ジャーナリズムの可能性である。
おいおい、小売の自己主張を広告になぞらえたかと思ったら、今度はジャーナリズムかよ。
わざわざ商品評論誌や消費者雑誌を買って読む人よりはカタログを手にとる人のほうが圧倒(たとえば『暮しの手帖』)なら、おのれが是とした商品の是とした理由を解説しながら販売していく方法を「小売ジャーナリズム」とよんでもかまわないのではないか。
「販売する」は「報道する」に重なるのではないか。
それは言いすぎだ、批評する報道するだけの第三者的立場を守るからジャーナリズムとよぶのであって、批評者が批評対象と利害関係をもってしまったら我田引水や自己合理化になってしまって、とてもジャーナリズムとはよべないよ。
お金儲けの仕事をジャーナリズム化していくなんて、虫がよすぎる、いや、邪道だよ。
そうだろうか。
評論家やジャーナリストが文章を売るのも小売が商品を売るのも、「売る」、「おカネを稼ぐ」ところは同じようなものだと思うが、それは置いておくとして、たしかに、小売のジャーナリズム化には危険も大きい。
ジャーナリズムを装ってコマーシャリズムの効率を上げていこう式の危険性は大いに考えられる。
ジャーナリズムコトバの隣に、コマーシャリズムコトバを並べたら、そのコマーシャリズムコトバも、ついジャーナリズムコトバのように聞こえてしまう危険性は私も実感したことがある。
しかし、売りのコトバがジャーナリズム的だろうとコマーシャリズム的だろうと、結果としての顧客満足と地球滞足が充たされればいいわけだろ。
届いた商品によって、小売コトバの信憑性は検証される。
よこしまな下心を抱いても、しょせんは商品によって見透かされてしまうのが小売。
小売はおのれの売る商品によって、たえず消費者側からの言行1致テストにさらされているのだからね。
説明と異なる商品を届けたら、とたんに「ウソつき、もう信用しないから」と不信を買ってしまうのだからね。
もしかしたら、評論コトバよりも小売コトバのほうがきびしい目にさらされているかもしれないよ。
そこまでムキになることはないか。
私が小売ジャーナリズムに憧れるのは、それが小売の自己表現だからだ。
それぞれの小売がそれぞれの自己表現で競い合う。
それぞれの自己表現が消費者における商品選択の標識になっていく。
そうなるといいなあ、と思う。
現代の小売企業は、おのれの人間を出さないできたから、「信じられるのは企業じゃなくて価格だよ、おたくはいくら引いてくれるの?」になってしまったのだ。
小売の人間をきちんと見せられたとき、そんな人間は嫌いだよと反発する消費者は当然、離れていく。
面目そうな人間だからしばらくつき合ってやるかと考える消費者だけが残っていく。
それが当り前で、そもそも万人に愛される企業なんてこの世には存在しない。
あったら気持わるい。
にもかかわらず、多くの通販企業は万人に愛されることばかり考えている。
いい例がカタログの横並び化だ。
「誌名を手で隠したら、どこの会社のカタログなのか、わからない」とよくひやかされるカタログづくりの横並び化は「だれにも嫌われたくない」という恐怖から生まれてくる現象だろう。
そして、「嫌われたくない」の根っこにあるのが、いまも根づよい小売の自己卑下だ。
自己卑下が「万人に愛されたい」というバカバカしい発想につながっている。
いつだったか、五味康祐のチャンバラ小説を読んでいて、腰が抜けるほどびっくりしたことがある。
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